祝カザフスタンの鉄道に最も詳しいwebサイト認定(by ステプノゴルスク警察)
アブハジア太郎さんが以下のツイートをしたので伺ったところ、アブハジア太郎さんがステプノゴルスクで捕まった時、当サイト「Geek travel」が警官から見せられたそうだ!なんとカザフスタンの鉄道に最も詳しいとのことだ!
ここまでニッチな内容の個人サイトがカザフスタンでも認知されているとはスーペル光栄だ。次カザフスタン行った時、ИНОАГЕНТ法(工作員法)か、国家反逆罪で捕まってしまいそうで怖いね笑笑
それはそれとして2022年に行った時の模様を紹介する。
既に大量の日本人がステプノゴルスクを訪問しており、日本語で潤沢な情報が出る。今更という感じだが、警察からの公認が得られた訳だし、ここはアップするしかないw
ヤポン人が行き過ぎて、捕まりまくるそうだ。
ステプノゴルスク警察ってよっぽど暇なんだな。
ステプノゴルスク
ステプノゴルスクは説明不要なほど有名な元閉鎖都市。
当地にはウランの鉱山があり、同時に精製施設があったため、ソ連時代には閉鎖都市だった。-wiki
ロシア本土内の生物兵器工場が西側の監査でバレかけたので、その生物兵器(確か炭疽菌)工場をステプノゴルスクに移したそうだ。 -出典 バイオハザード ケン・アリベック (昔僕が1900円払って買ったのに今100円で売っているのでぜひ読んでほしい。)
そういった危険そうな街だが現在は普通に行くことはできる(撮り鉄したら捕まるけどな)
訪問日
2022年5月12日 夕方到着
5月13日 〜 5月15日 撮影、乗車等
1日目(5月13日)
朝の1便目は6:35ステプノゴルスク発である(当時の時刻表は最後に掲載)
街はまだ眠っており、市バスはまだ走っていない。
撮影地までどうやって行こうかと思ったら、タクシーが僕の泊まっているビルの前に都合よく居た。タクシーで街の端まで行き、そこから線路沿いを徒歩で探索しつつ移動。
“撮影地探索”といえば普通に聞こえるが、運転手に疑われないよう線路際までは送迎を頼まないチキンプレーである。
1日目①ポイント
栄光のER22がやってきた!元はモスクワ鉄道で走っていたが、この閉鎖された電化区間で未だに走り続けている。
朝光線で現像でゴチャゴチャしなくても彩度高めで素晴らしい。
当時は6連が走っていた。
続いて2本目
ステプノゴルスク6:45発
10分おきに走っているとはほぼ山手線である。
1日目②ポイント
3本目は7:26発で40分の暇だったので、光線が良いカーブの先へ歩いた。
線路は築堤上に有り、目線が低くなってしまいそうだが、都合よく土山がある。そこに三脚を立てた。
朝光線を浴びる、今は亡き6連で素晴らしい。
4本目は8:14発。太陽は徐々に高くなってきた。
これは5連で。
朝の光線が良い列車が来る時間が終わったので、沿線の駅で暇をつぶす。ダーチャ駅のはず。
19編成の折返しを後追いで撮影。
ステプノゴルスク駅
当時はまだ殺伐としておらず、側面カットやら形式番号の写真など大量に撮りまくった。
とはいえ、当時も反対派っぽい運転士がいたので、そういう人が最近警察に通報してるんだと思う。
5月で春のお花が咲いていた。
軍学校
ステプノ駅で撮影した後、午後まで列車がなく暇である。
昼過ぎに今回の宿泊先を紹介してくれたおばさんが教えている軍の学校に招かれていたので行ってみた。なんか教室で話して、記念撮影をした。
実は、「1日目」の前日にステプノ入りしたとき、ホテルステプノゴルスクを当てにしていたら潰れていた(リノベーション中となっていたが復活しないと思う)。そのとき通行人のおばさんに話しかけて、その人の知り合いのオッサンの家に民泊したのだ。
午後撮影
станция СПЗ まで電車で行き、折返しが来るまでウロウロ散策した。
湿地のあたりでキッズ達が歩いていた。станция Алтынтау のある集落に住んでいるらしい。
キッズ6名は湖まで歩いていき、そこで泳いだり水バシャバシャして遊んでいた。
1時間位一緒に遊んだ?(向こうはギリギリ口語しゃべる自称ヤポン人をなんだと思ってたんだ)あと撮影のために別れた。
そのうちの一人がザヴォツコイ方面の電車が走ってるときにいい感じで手を降ってくれた。(やらせではなく)
1日目③ポイント
СПЗ 駅の北東1.5kmの地点に、線路をまたぐパイプラインがある。それには歩道がついているので登って撮影。
夕方の光を浴びて走るER22素晴らしすぎる。
(こんなのも今やったらパイプライン爆破しに来たイノアゲント認定w)
1日目が終わった。もう良いんじゃね?くらいのVを量産してしまった。
まだ2日ある。
2日目 5月14日
2日目朝は天気がXYI(ダメ)すぎる。
撮影は諦め、乗り鉄にした。
オタク賛成派?のカザフ系の駅のオッサン職員が、運転席に乗っていくよう言ったが、運転手は「金ねよこせ」というかんじでハナから非友好的だったので、おとなしく客席に乗車した。
曇天の中、釣りかけ音を聞きながら終点へつく。
終点のザヴォツカヤ駅に居ると、まだ曇っているが、雲の移動方向を見るとギリギリ晴れる可能性が出てきた!
折返しに乗って帰るつもりだったが、急遽撮り鉄に変更!
北へ歩くと、しもうささんが開拓したインカーブの撮影地がある。
2日目①
オアアアア…
なおここは近くに囚人病院が有り、高確率で捕まるので行くのは絶対やめたほうが良い。俺は捕まらなかったけど。
追記: 2024年に行った人はみんな捕まってるので、どーせどこに居ても捕まるから逆に安心して行っていいと思います。
この後、マルシュで町中へ戻った。小さいマルシュは大混雑だった。
15時までの記憶がないが、家で寝てたんだと思う。
15時の便
15時の便のために駅へ行ったところ、またさっきの賛成派のおっさんがいた。話していると、「3年くらい前に日本人来た」とのこと。ロシア語話せたのか聞いたところ、いや、君より下手だったとのことだ。もしかして赤たま先生の事じゃないですか…?
多分運転台に乗るヤポン人2人目ということで
これはフィクションです。僕は決して運転台のRAWデータなんて持ってません。
終点につくと、「ブラゴダリノスチ」を求められた。これがリアル「コーラ買ってこいよ」パシリか!確かコーラじゃなくてファンタだった気がするけど。
しかし、ER22の運転台に炭酸飲料とお菓子程度で乗れるなんてあまりにも運が良すぎる
これはフィクションです。
3日目 5月15日
最終日は、simousa さんが行った撮影地をパクりに行った。
3日目①
しかし若干の薄曇りで、1日目のピンカンと比べるとそんなになぁという感じ
2本目
9:40頃の折返し列車
踏切〜ダーチャの区間は築堤なので、下に居ると目線が低すぎる。
踏切のちょっと先に、ポコポコと小山がある。そこに上って三脚を立てた。
3日目ポイント②
19編成。撮影当時は、まだ光線が半面でイマイチだと思っていたが、6連の19編成で今見ると素晴らしい。
完璧な光線でER22の形状がよく分かるカット。素晴らしい。
当撮影地は踏切のすぐ先だ。踏切番が密告しないか警戒していたが何もなかった。帰りに挨拶したところ、50前後のロシア系のおばさんで、全然敵意はなかった。
普通に「日本から来ました」と言ったら警戒することもなくポトレとらせてくれた。
あと50くらいなのに太ってなかった。珍しい。(おい)
ステプノゴルスク駅に戻ると、またあの賛成派のオッサン(出発の合図とかする係なのかな?)がいた。ER22と彼の写真を撮りWhatsappした。
彼のおかげで運転台に乗れたので感謝しか無い
ニリジャ〜〜〜〜
ステプノゴルスクは素晴らしい。
2022年5月当時は連行などの気配は無く平和そのものだった。
今は全員捕まってるが、やってることは僕と同じだろうし、完全にステプノの警察の頭がおかしくなってるんだと思う。
次行くとは思えないが、あったら事前に出頭して、出頭したから捕まえないでくれと頼むか、CTZ(ステプノゴルスク鉄道)に出頭して賄賂払って通報しないでくれと頼もうかな…(カラプツィア)
晴天で列車が来る3分前に捕まったら目も当てられない。
参考:当時の時刻表
バスについて
実際には減便し1日3or4便しか来ない
2024年現在はマルシュは1日1本あるらしいとのことで、最早利便性ゼロだ。
ヌルスルタン駅前の、乗り合い白タクで行くのが良いだろう。
当時片道3500テンゲ(4人集まった場合)
ひとりでも14000テンゲ積めば行けるらしいです。
ホテルについて
ガスティニツァステプノゴルスク は潰れました。ソ連ビルのホテルだったのだが、筆者訪問時は工事中になっていた。
Восход
急行羽黒さんが行った昔ながらの小さいホテル
ツイートによると普通にぼったくりはあるらしいので値切りましょう。
ALF
新しく作られたドミトリー。
アブハジア太郎さんが行ったそうです。星4.9でどう考えてもこっちの方がいい。
他にはブッキングコムで高めのホテルや、部屋貸し(クヴァルティーラ) もあるようだ。
参考サイト
ステプノゴルスク 公式サイト